1. プロセスシステム工学
プロセスシステム工学(Process Systems Engineering:PSE)は化学工学の一分野であり、化学プロセスを設計・運転・制御するための学問として発展してきました。反応や分離、熱交換のような単位操作、それらからなるプロセス全体をモデル化し、シミュレーションで最適なシステムを実現する―それがPSEの原点です。いま、PSEに関わる世界中の研究室が、対象を化学プロセスから広げ、環境やエネルギー、ヘルスケアなどの様々な社会課題の解決に向けた研究に取り組んでいます。杉山・Badr研究室もその一つです。
研究では、新しい数理モデルや手法を開発します。物質・熱収支などの自然科学法則に基づく「物理モデル」や、統計・AI手法から導かれる「データ駆動モデル」、さらにそれらを統合した「ハイブリッドモデル」を構築します。これによって、複雑な対象をシミュレーション可能なものに転換し、試行錯誤に頼ることのない設計指針の獲得や、シナリオの比較評価、合理的な意思決定につなげます。構築したモデルの活用方法を手法・手順として一般化し、様々な対象に応用できるようにします。分子・細胞からプロセス、社会システムまでのつながりを意識した「マルチスケール視点」を持って研究に取り組んでいます。
プロセスシステム工学(PSE)
製薬・サステナビリティ分野への展開
2. 製薬プロセスシステム工学(Pharma PSE)
命に直接的にかかわる医薬品を、優れたプロセスで製造するための方法論を研究しています。低分子からバイオ、幹細胞までの様々な製造プロセスをモデル化し、シミュレーションでデザインスペースや最適条件を求めることを目指しています。2013年に立ち上げた研究です。直近では、製造プロセスを医療社会システムの一要素として捉えた新テーマ「システム医薬」を設け、社会スケールの研究に着手しました。
下記のレビュー論文もあわせてご覧ください。
- Gaddem, et al., “Roles of mechanistic, data-driven, and hybrid modeling approaches for pharmaceutical process design and operation” Curr Opin Chem Eng, 44 (2024)(製薬プロセスの設計・運転におけるモデリングの役割)
- Badr & Sugiyama, “A PSE perspective for the efficient production of monoclonal antibodies: Integration of process, cell, and product design aspects”, Curr Opin Chem Eng, 27, 121–128 (2020)(抗体医薬品製造に関する統合プロセス設計の概念提案)
研究テーマとアプローチ
低分子医薬品
分子量数百程度の化合物を有効成分とする医薬品です。通常、原薬は有機反応で合成され、製剤は錠剤やカプセル剤、あるいは注射剤などとして提供されます。解熱・鎮痛薬や抗菌薬、抗精神病薬などの様々な治療に用いられる、最もメジャーな医薬品です。現在、私たちは原薬フロー合成並びに錠剤のPoint-of-care製造に関して研究を進めています。
原薬フロー合成のモデリングとデザインスペース構築
主要論文:
- Kim, et al., “Kinetic study and model-based design space determination for a drug substance flow synthesis using amination reaction via nucleophilic aromatic substitution”, Org Proc Res Dev, 28, 5, 1793–1805 (2024)(アミノ化反応の速度論モデリングとデザインスペース設定)
- Kim, et al., “Hybrid modeling of an active pharmaceutical ingredient flow synthesis in a ring-opening reaction of an epoxide with a Grignard reagent”, Ind Eng Chem Res, 62, 43, 17824–17834 (2023)(グリニヤール反応のハイブリッドモデリング)
- Kim, et al., “Model-based comparison of batch and flow syntheses of an active pharmaceutical ingredient using heterogeneous hydrogenation”, Comput Chem Eng, 156, 107541 (2022)(水素化反応の速度論モデリングとバッチ式・フロー式の比較評価)
固形製剤の連続生産と卓上個別化製造
主要論文:
- Hayashi, et al., “Development of concentration prediction models for personalized tablet manufacturing using near-infrared spectroscopy”, Chem Eng Res Des, 199, 507–514 (2023)(個別化錠剤製造に向けた濃度予測モデルの構築)
- Matsunami, et al., “Determining key parameters of continuous wet granulation for tablet quality and productivity: A case in ethenzamide”, Int J Pharm, 579, 119160 (2020)(錠剤の連続生産における重要品質パラメータの特定)
- Matsunami, et al., “Decision support method for the choice between batch and continuous technologies in solid drug product manufacturing”, Ind Eng Chem Res, 57, 9798–9809 (2018)(固形剤製造におけるバッチ・連続方式の選択支援手法)
バイオ医薬品
分子量数万から数十万に及ぶ高分子を有効成分とする医薬品です。原薬は遺伝子組み換えや細胞培養などのバイオテクノロジーを応用して製造され、製剤は注射剤として提供されることが通常です。中でも抗体医薬品は、がんや自己免疫疾患、アルツハイマー病などの治療薬として注目されており、その市場は近年、急速に拡大してます。現在、私たちは抗体医薬品の培養・精製プロセス並びに注射剤の無菌製造プロセスについて研究しています。
抗体医薬品製造プロセスのモデリングとシミュレーション
主要論文:
- Okamura, et al., “Modeling of cell cultivation for monoclonal antibody production processes considering lactate metabolic shifts”, Biotech Prog, e3486 (2024)(代謝シフトを考慮したCHO細胞のメカニスティックモデリング)
- Okamura, et al., “Hybrid modeling of CHO cell cultivation in monoclonal antibody production with an impurity generation module”, Ind Eng Chem Res, 61, 14898–14909 (2022)(不純物生成を考慮したCHO細胞のハイブリッドモデリング)
- Amasawa, et al., “Cost-benefit analysis of monoclonal antibody cultivation scenarios in terms of life cycle environmental impact and operating cost”, ACS Sust Chem Eng, 9, 14012–14021 (2021)(培養工程の環境影響評価と治療効果との比較)
注射剤の製造技術モデリングとプロセスデータ解析
主要論文:
- Yamada, et al., “A systematic techno-economic approach to decide between continuous and batch operation modes for injectable manufacturing” Int J Pharm, 613, 121353 (2022)(バッチ・連続生産方式の技術・経済性評価)
- Zürcher, et al., “Data-driven equipment condition monitoring and reliability assessment for sterile drug product manufacturing: method and application for an operating facility”, Chem Eng Res Des, 188, 301–314 (2022)(長期運転データを利用した装置状態監視)
- Zeberli, et al., “Data-driven anomaly detection and diagnostics for changeover processes in biopharmaceutical drug product manufacturing” Chem Eng Res Des, 167, 53–62 (2021)(運転データ解析と異常検知・診断)
- Shirahata, et al., “Multiobjective decision-support tools for the choice between single-use and multi-use technologies in sterile filling of biopharmaceuticals” Comput Chem Eng, 122, 114–128 (2019)(シングルユース・マルチユースの多目的評価と選択支援)
- Yabuta, et al., “Design-oriented regression models for H2O2 decontamination processes in sterile drug product manufacturing considering rapidity and sterility” Int J Pharm, 548, 466–473 (2018)(過酸化水素除染プロセスのモデル化と設計)
- Casola, et al., “Uncertainty-conscious methodology for process performance assessment in biopharmaceutical drug product manufacturing” AIChE J, 64, 1272–1284 (2018)(洗浄・滅菌工程の効率化に向けたデータ解析)
再生医療
ヒト由来の細胞などを医療に応用します。iPS細胞や間葉系幹細胞などを培養し、分化誘導して組織・臓器を作製する、あるいは直接投与することで、従来の医薬品にはない治療効果を得るための手段として注目されています。私たちはiPS細胞や間葉系幹細胞製造のための単位操作について研究しています。
ヒトiPS細胞の凍結プロセス設計
主要論文:
- Hayashi, et al., “Computer-aided exploration of multiobjective optimal temperature profiles in slow freezing for human induced pluripotent stem cells”, Cryobiolog, 115, 104885 (2024)(最適温度プロファイルに関する実験的検証)
- Scholz, et al., “Computational Fluid Dynamics Model-based Design of Continuous Forced Convection Freezing Processes for Human Induced Pluripotent Stem Cells Considering Supercooling of Extracellular Solutions” Chem Eng Res Des, 208, 674–682 (2023)(連続凍結プロセスのモデル化と設計)
- Hayashi, et al., “Slow freezing process design for human induced pluripotent stem cells by modeling intracontainer variation”, Comput Chem Eng, 132, 106597 (2020)(凍結プロセスの基盤モデル構築)
間葉系幹細胞の培養プロセス設計
主要論文:
- Hirono, et al., “Image-based hybrid model incorporating initial spatial distribution for mesenchymal stem cell cultivation process design”, AIChE J, 70, e18452 (2024)(画像データを取り込んだハイブリッドモデリング)
- Hirono, et al., “A dynamic and probabilistic design space determination method for mesenchymal stem cell cultivation processes”, Ind Eng Chem Res, 61, 7009–7019 (2022)(培養プロセスの基礎モデル構築とデザインスペース設定)
システム医薬
「製造を一要素とするシステム全体は何か」という視点から、健康社会システムの評価・設計を研究しています。これまでに費用対効果分析、サプライチェーン評価、感染症数理モデル構築に取り組んできました。化学工学会内に「システム医薬分科会」を設けて活動を進めています。
主要論文:
- Nemoto, et al., “Indicator-based assessment of potential supply risks for pharmaceutical excipients: Method and application”, Int J Pharm, 663, 124498 (2024)(添加物の供給安定性評価)
- Okamura, et al., “A systems evaluation model for the development of companion diagnostics and associated molecularly targeted therapies”, J Pharm Innov, 199, 507–514 (2023)(コンパニオン診断の費用対効果分析)
- Kim, et al., “Determination of critical decision points for COVID-19 measures in Japan”, Sci Rep, 11, 16416 (2021)(COVID-19感染拡大のモデル化と政策決定支援)
3. エネルギー・サステナビリティ(Sust PSE)
持続可能社会の実現に向けて、マルチスケール・プロセスモデリングや評価・最適化を研究しています。エネルギーや資源の需要増加、気候変動、資源の有限性のような相互に関連した課題を解決するための包括的アプローチを開発しています。統合プロセスシステムフレームワークを基盤に、技術経済や環境、社会的な観点から課題解決に貢献します。
2023年に立ち上げた研究で、現在、以下のテーマに取り組んでいます。
- エネルギーシステム・水素社会
- サーキュラーエコノミー・廃棄物削減
- 統合インフラストラクチャー
研究テーマとアプローチ
エネルギーシステム・水素社会
水素はカーボンニュートラル実現の鍵を握るエネルギー源ですが、製造コストの高さが普及に向けての課題になっています。私たちは、触媒や電極材料など、水素製造に関する新技術を対象に、プロセスシミュレーション技術と経済性・環境影響・安全性の統合評価の手法を開発しています。これにより、コスト削減も含めて効率的で持続可能な水素製造をシステムとして実現できるようにします。
サーキュラーエコノミーと廃棄物削減
サーキュラーエコノミーは、持続可能な消費と生産のための重要な概念ですが、多くの廃棄物やエネルギーが再利用されないままになっているという現実があります。私たちは、資源効率の高い化学・バイオケミカルプロセスを開発しています。これにより、新しいリサイクル・ループが閉じることで、最終廃棄量の削減につなげます。
統合インフラストラクチャー
グリーン水素のような新しいエネルギー源を実社会に供給するためには、供給網などのインフラ整備が不可欠です。私たちは、経済性や環境・安全、技術成熟度や消費ニーズなどの様々な側面を統合的に考慮した大規模最適化モデルを開発しています。これにより、長期的な整備計画や効果的な投資を可能にしていきます。